のんびり岐阜まちなか歩き

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岐阜名産品 水うちわ

水うちわ ご存じでしょうか

 

雁皮紙という非常に薄い和紙の上に、天然のニスが塗られていることです


ニスが塗られることで和紙に透明感が出て、涼しげなうちわに仕上がります

 

 

透明で繊細な外観や、舟遊びに長良川の水につけて扇いだという説話から、この特徴ある団扇は、水うちわと呼ばれるようになりました


かつて万国博覧会にも出展された逸品です

 

 

水につけても良いものと、あまり付けてはダメなものがありますのでご注意下さい

 

値段もそれによって違います、普通サイズでつけて良いものが6000円後半より、あまりつけてはダメなものは3000円代よりくらいです

 

岐阜の暑い夏、うちわの風から涼を取りましょう



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一周年

長良川うかいミュージアム

 

昨年の8月1日にオープンして1周年を迎えます

 

夏休みに入る記念日に催しがいっぱいあります

 

 

7月27日、8月3日はご存じの通り

 

長良川で花火が開催されます

 

ここからのロケーションはバツグンに良いでしょうね

 

夏休みの宿題も、ここの催しで出来るかも(笑)

 

お笑いステージやゆるキャラも集合

 

これは見に行かないと



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松尾芭蕉 お気に入り

妙照寺

 

日蓮宗(身延山久遠寺を総本山とする)の寺院です

創建は天文三年(1534)で、慶長五年(1600)に当時の岐阜城主織田秀信より当地の竹中半兵衛屋敷跡を寄進され、寛文二年(1662)本堂建立に伴い移転し現在に至る

 

 

この寺の本堂と庫裏は平成9年7月31日に岐阜市重要文化財に指定されています

現存する県内の神社・仏閣の中で最古の建造物であると,県教育委員会の調査の結果が報告されています

 

 

竹中半兵衛は日本の戦国時代に羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師(参謀と言う表現の方が良いという人もいます)として今孔明と呼ばれていました、ごくわずかな史実としての資料が残るだけで実際の活躍は謎めいているそうです

 

岐阜城の城主の看板に名前がありますように有名な稲葉山城(岐阜城)乗っ取り、秀吉に与力し戦国時代を駆け抜けた人物です

竹中半兵衛(たけなか はんべえ)は通称で竹中重治(たけなか しげはる)という、同じく秀吉に仕えた黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「二兵衛」と並び称された

 

 

山側境内奥の「三光稲荷社」は、竹中半兵衛が守護神として屋敷内に祀り信仰したと伝えられているそうです

人々は妙照寺を「さんこうさん」と呼び親しみ,「三光稲荷社」への参詣者も多いです

 

松尾芭蕉は、1688(貞享5)年に妙照寺の日賢上人に案内されて岐阜に滞在、1ヶ月ほどこの寺を拠点としました

日賢上人とは元禄6〜11年のこの寺の住職であります

 

 

芭蕉が滞在した12畳の座敷「芭蕉の間」は現在も残っています

芭蕉が直接触れた建物は現存するものが少なく貴重なものと評価されています

長良川の鵜飼いを見て、有名な句「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」を残しています

その句は、華やかな鵜飼が終わって闇とともに戻ってくる静けさを詠んだと言われてます

 

境内には昭和51年秋岐阜県俳句作家協会が建立した芭蕉の句碑があります、字は俳人加藤楸邨氏の筆である

その句碑には「やどりせむ あかざの杖と なる日まで」と書かれ、句碑の横には芭蕉が植えた紅梅も残されています

その句は、妙照寺の住職の心をこめたもてなしに、庭のあかざの木が杖に用いることが出来るようになるまで、ゆっくり滞在したいものだという気持ちを表したものとされています

 

 

あかざとは、杖になるとされていますが木ではなく草です、一年草の草で成長すると1メートルを超えるまで伸びます

これが杖になるまでとは、育てて乾燥させ仕上げるまでには、1年以上かかると思いますので、芭蕉はそれだけ長いこと岐阜に滞在したいと思ったと言うことは、すごく岐阜が気に入ったということですね

そのあかざも妙照寺の境内に植えてありますので、時期にもよりますが見ることができます

 

 

そんな妙照寺を訪れてみませんか

岐阜公園より南へ徒歩10分弱の所です



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水路沿いの散歩道

岐阜の夏は暑いです

 

岐阜公園から川原町に移動されるときに、ここを利用してはいかがでしょうか観光で岐阜に来られている方、移動するだけで体力が消耗してしまいます

 

湊コミュニティ水路です、駐車場のよこから川原町広場まで行けます

 

 

湊コミュニティ水路は、長良川の清流を引き込んだ忠節用水放水路沿いに、緑の回廊ともいうべき藤棚下の散策道と木覧デッキ・八ツ橋・滝組前の沢飛石、及び親水階段と玉石河床などを配した水辺の施設となっております

魚の棲める深みや四季折々に咲く植栽など散策道を歩くと自然に水と緑に触れられるようになっています

1987年から1988年にかけて施工され、放水路の流路延長は330mです

 

 

水路の流れの他、壁泉などがあり涼しさを感じられます

 

忠節用水路からの放水を調節する「ロボット水門」が、独特な景観をつくりだし、このコミュニティ水路の象徴となっており、地域の人々に親しまれています

 

 

この水路の親水広場が、岐阜公園日中友好庭園内にあります

水が階段状の所を流れ落ち、壁やキュービクルに水が伝わり涼しさを演出しています

 

 

ロボット水門の所から入り、パーゴラをくぐり木のデッキに出ます、その向こう側には壁泉が有りその下の石垣に水が流れていきます

 

長良橋線の道路下をくぐり、川原町広場へ向かいます

道路下はトンネル状態ですので、少しひんやりします

 

 

広場前には滝風に水が流れ、飛び石が設置されています、その向こうにはまたパーゴラがあります

 

 

モニュメントとして、欄干の上にリスが居ます、金華山のリス村のリスなんでしょうか、そしてその横にリスの好きなドングリのモニュメントがあります

 

 

しかし、リスに対して凄くデカイです、こんなのが有れば、リスは大喜びでしょうか(笑)

 

 

これからの時期、アスファルト上を歩くのが暑いです、こちらを通ってはいかがでしょうか、でかいドングリを探しながら

 

場所は、岐阜市にある金華山の麓、岐阜公園堤外駐車場に隣接する水路です



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中山道河渡宿

河渡宿は長良川の渡しで栄えた宿場です

当時、長良川の川幅は約90m(水のあるところ常水位の時)で出水時は270mにもなり、約190mくらいで川止めになったそうです

 

 

しかし、平常水位の時は美濃最大で遊郭などがあった加納宿に旅人は急いだり留まったりして、宿場として余り潤わなかったそうです

 

河渡の渡しの上流に、小紅の渡しがあります、現在も残ってます

 

渡し場の跡は現在見あたりません、ただ堤防上に祠(ほこら)が一つあって渡し場跡を表しています

 

岐阜市内より河渡の渡しから少し行くと、馬頭観音があります

 

 

荷駄役人足が天保13年(1842)にお金を出し合い、道中家内安全、五穀豊穣を祈願し愛染明王を祀るため六間四面のお堂を建立しました

明治時代の洪水での被害や濃尾大震災での被害などと老朽化したため、昭和59年に建てかえられました

 

馬頭観音より南の道が中山道で、現在新しい家並みになっていてその中央辺りに、中山道河渡宿と書いてある碑があります

その碑の場所は一里塚跡でもあります

 

 

この宿場は脇本陣はありませんでしたが本陣は置かれていました、一里塚跡より東の方らしいですが碑も何もありません

宿場の概要、本陣1軒・旅籠24軒・家数64軒・人口272人・幕府領1843年宿高1300石

その他に酒屋、薬屋、豆腐屋、煙草屋などが記録されています

 

 

この場所は東に長良川、北に根尾川南西に糸貫川があり土地が低い位置にあって、洪水などの被害がありました

特に文化12年6月には未曾有の洪水に見舞われ、このままでは宿も途絶えるのではと思われるほどになったそうです

 

その時の代官「松下内匠」が宿中を五尺余り土盛りをして、その上に家屋を改築して、文化15年に工事を完成させ洪水に耐えるようにしました

この功績に対し村人は、感謝しのちに「松下神社」を建立しました

しかし、神社も碑も太平洋戦争の戦災に遭い、現在は碑も一部しか残っていません

 

 

周りが田園で小さな集落でありましたが、太平洋戦争の岐阜の空襲により焼けてしまい昔の建物などは残っていません

 

いこまい 中山道 河渡宿祭 が10月の終わりに開催されます

 



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まちなか案内人
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岐阜の「ええとこ」観光巡り。
観光だけでなく、まち歩きをして一服できるところや、グルメなどを、また脱線して意外なことをアップしてしまうかも知れません(笑)
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